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・著者語録

  
 
世界最高と称されるホテルで働いた経験から


「 今、日本人に求められること 」


法律社会と常識社会

アメリカは、世界中から自由を求めて、
さまざまな民族が流れ込んだ多種移民族国家。
民族はそれぞれ異なった文化を持っている。
常識も違うから、日常生活を常識に任せていたのでは、
争いだらけの社会になってしまう。

そこで、人々をまとめあげるものとして法律が登用された。
人々は何事においても法律に基づいて物事を判断する。
一方、日本はほぼ単一民族の国。
以心伝心といわれるように、人々は同じ感覚を持っていた。
常識も似通っていたから、
日常生活の規範を常識に任せても、大きな弊害は生まれなかった。

こうした背景の下、
アメリカでは法律に基づく社会ができあがり、
日本では常識に基づく社会ができあがった。
法律に強く頼ることなく、
人々の常識でものごとが動いてゆく社会は理想といえる。
だが、現在、それが造り出す社会的問題も目につくようになった。
たとえば、ホテルでミスが起きたとき、
アメリカ人ゲストはその代償として無理な要求をあげない。
彼らの心には法律がある。
無理難題を要求しても法的に通らないことを知っている。

だが、日本人ゲストには法律意識はない。
気分を晴らしたいという気持ちが先走り、
理不尽とも言える要求をあげるケースが多発する。
理不尽な要求があがったところで、
アメリカのホテルは相手にするのをやめる。
だが、日本のホテルではそうはいかない。
最後までつきあい、ホテルはダメージを受ける。
解決にかかった経費が生産性を落とし、スタッフをうつ病へ導いたり、
離職率をあげたりする原因となっている。

さまざまな情報を入手できるようになったことで、
人々の常識は広がりを見せている。
もはや、みんなが同じ常識をもつ時代は終わりかけている。
常識に任せていたのでは人々の苦しみは増えるばかり。
日本も法律を人々の身近に置かなければならない時代を迎えている、
と私は強く感じている。


The Plaza



差別厳禁社会と差別無頓着社会

アメリカは建国以前から、
人種差別というとても大きな問題を抱えていた国。
リンカーン大統領、ケネディー大統領、
マーチンルーサーキングジュニア牧師と、
人種差別を改善しようとした偉大なリーダーたちは弾丸に倒された。

だが、彼らの意志は受け継がれ、今日、人種差別だけでなく、
性差別をも含んだ、あらゆる差別的行動をとる人、
または企業に、法律はとても厳しい罰を与える体制を敷いている。
日本では明治時代に身分制度が崩壊し、
一部を除いて、人々は身分差別から開放された。
さらに戦後は中産階級が大多数となり、
人々が差別を意識しない社会となって行った。
こうした背景の下、
アメリカでは何事においても差別を厳禁する社会ができあがり、
日本では差別に無頓着な社会ができあがった。

差別のない社会は理想の社会。
だが、世の中に差別がないことはありえない。
人よりも上に立ちたがる習性を人間は持つからだ。
社内では男性が幅を利かせて、女性が悔しい思いをする。
上司がパワーハラスメントを行い、部下を苦しめる。
ゲストの前では笑顔を見せているホテルマンも、
オフィスに戻ればゲストの理不尽な態度に机を叩いて悔しさをはらす。
下請け会社が受けるプレッシャーや、
セールスマンが抱く苦しみも聞けばきりが無い。
お金を払う立場にいるものが極端に高い地位につくことが、
あたりまえとなり人々を苦しめる。

日本の自殺率はアメリカの2.5倍。西側先進国では最高値。
うつ病に苦しむサラリーマンが増えて社会問題化している。
差別に無頓着な社会が大きな上下関係を生み、
ストレスを人々の間に蔓延させている。
その中で育つ子どもの世界でもいじめが広がる。
これが日本文化の一部のようになってしまった。

人の世の中は助け合いで成り立っている。
今日、ホテルを利用するゲストは飲料会社で働いていて、
ホテルはその製品を購入しているかもしれない。
アメリカでは、買い物をしておつりをもらうときに、
多くの人が"サンキュー"と言う。
必要としていた品物を販売していてくれたことへの感謝の表れだ。
立場にかかわらず、
人はみな同じ目線を持たなければいけないという基本事項を、
日本はもう一度見直さなくてはならない時代にいる。

Central park



自由を求める社会と協調性を求める社会

その昔、ヨーロッパから自由を求めた人々がアメリカ大陸に入り込み、
土地を開墾、
あるいは先住民族から土地を確保して自分の所有地とした。
そこに進入する者がいたら、銃で撃っても罪にはならない。
銃は自由を守るための象徴。
だから、未だ憲法はすべての国民に銃を持つ権利を与えている。
彼らは言う。
自分たちにとって最も大切なものは自由だと。
日本は、戦後、驚くべき速さで国を建て直し、
世界一ともいえる技術大国を造りあげた。
それは高度成長期に人々が一丸となって懸命に働いた結果だ。
その過程で最も必要とされたものは人々の協調性だった。
敗戦国を蘇らしたいという人々の強い願いが、
勤勉で従順な国民性を育て、日本を大成功へと導いた。
こうした背景の下、
アメリカでは個人の自由をとことん追求する気質ができ、
日本では団体の中で協調を保つ気質ができあがった。

しかし、ここにきて、
日本の協調性を重視する教育と社会制度が弊害をもたらし始めている。
顕著な問題の一つはリーダーシップをとれる人材が育たないことだ。
ホテルでアンケート調査を行えば、スタッフが抱える半分以上の問題は、
リーダーシップの欠損から引き起こされている、
という事実が浮かび上がる。

終身雇用と年功序列が守られた時代には、
人々は会社に身をゆだねればよかった。
だが、昨今、会社は倒産するようになった。
リストラによって職を失う人がでるようになった。
世の中に不安が広がっている。
否応なしに、日本もアメリカ型の社会になってきている。
不安定な世の中に必要とされるのは強いリーダーシップだ。

会社に依存するのではなく、個人が独立心を持って、
自力で世の中を渡っていかなければならない時代を迎えている。

今、日本に必要とされるのは、
一人一人が強いリーダーシップを発揮できるようになること。
そのための教育と社会構造の見直しを早急に図らなければならない。


Central park



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